こんにちは、hanaです。
今回は子供時代になかなか関わることのできなかった父とのエピソードや、父のろうあ者としての苦悩や心の内をお話させていただきます。
父と母は聴覚障害者。私はコーダ。母から受けたたくさんの愛情 〜幼少期編〜
父と母は聴覚障害者。私はコーダ。酷い言葉を母に投げかけてしまった 〜思春期編〜
父と向き合うことのできなかった子供時代
私の父は仕事が忙しく日々家を空けることが多かったこともありますが、何よりも話が通じない。ということが私の中で父と向き合うことから逃げていた理由の一つです。私の手話能力が未熟な点もありますが、父は家族や他人の意見を取り入れるようなことは全くしなかったため、私の気持ちを話しても理解をしないと思っていました。
他にも幼い頃から父には私の手話が通じないことが多々あったため父への諦めの気持ちもあったのかもしれません。
父に叱られることも幾度もありましたが、内容は電話の使いすぎ、電気のつけっぱなしなど今思い返しても些細なことばかりでした。
ただ一つ、父から教育らしいお叱りが一度ありました。高校生の時好きなアーティストのライブを観にいった際、会場が慣れない都内の開催であったにもかかわらず私は終電を逃してしまったのです。最寄駅までは帰れないものの、なんとか両親が車で迎えに来れる距離の駅まで帰ることができたので迎えに来てもらうことになりました。帰宅した時間は夜中の1時‥そこから父のお説教が始まりました。成人前の娘が終電を逃すと危ないし、父も心配していたこともわかりましたので、とても反省しました。
この時、初めて父からの愛情を感じたかもしれません。
父と母の関係
我が家は父の母にあたる私の祖母と同居していたこともあり、両親は幾度もぶつかり合い、母が泣いている姿をみていました。夫婦間の問題だけでなく嫁姑の問題も多少あったんだと思います。そのたため父への尊敬の気持ちは正直あまりありませんでした。
父は頭ごなしに怒鳴ったり、お金を稼いできているのは俺だ!と典型的な亭主関白タイプの父親でした。
両親が喧嘩をする度に弟と一緒に2階の部屋で怯えていたことをよく覚えています。
父は、母が中途失聴者でろうあ者文化を完全に理解していなかったため、”なぜ俺の気持ちがわからないんだ”と怒っていたということもありました。ろうあ者と中途失聴者のギャップでね。ろう者はろう者の文化があるように文化の違いから二人のすれ違いがずっと続いていたように感じています。
そして喧嘩が絶えなかった父と母の間に愛は存在しないと子供なりに感じていました。
しかし、ある日を境に父の態度は人が変わったように一変します。それは母が”離婚”というワードを切り出した時でした。母はこれまでも離婚を考えていたと思いますが、子供の手がかからなくなるまでの辛抱しようと考えていたようです。
現に母からは常々離婚についての相談を持ちかけられ、もちろん母との時間の方が長いですし母の味方であった私は母と家を出ることを決意していました。
父はその日を機に母への態度も一変。子育てが一旦落ち着いたということもあるかもしれませんが、母や私たち子供への接し方が変わったのです。
ろうあ者の苦悩。父との和解
私もお酒が飲めるようになり、父と二人で飲みに行く機会がありました。
その時に父から、子育て期の態度に対して涙を浮かべながら謝罪がありました。なぜ気持ちを改めることができたの?と聞いてみると離婚危機もあるけれども、信頼できる通訳さんとの出会いが大きかったと言っていました。私の家庭では大変お世話になった通訳さんです。
自分の世界が狭かったことも、他人の意見を取り入れようとしないところも、自分の中で認めることができたそうです。
なぜ父の世界が狭かったのか?と聞くと、5人兄弟の末っ子で育ってきたが、耳が聞こえない自分だけ仲間外れにされることが多かったり、幼いことから聾学校に通い、ほぼ聾者の世界でしか生きてこなかったからだそうです。サークルで聴者の方がいても、いつも会話するのは聾者とばかり。大人になっても健聴者の世界に触れることがほとんどなかったそうです。
その後母と結婚し、他人の価値観に触れることはできたものの、なかなか母の気持ちに寄り添うことはできなかったと言います。
そう考えると第三者の存在や意見はとても大きいですね。
そのお陰で当時の私の気持ちも話すことができましたし、将来の夢なども話すことができました。父はずっと夢や希望など持ってなかったので、”自分で稼げる仕事ならなんでもいいから頑張れ”とアドバイスをくれました。父なりの精一杯のアドバイスです。
この日、美味しいご飯とお酒を飲んでたくさん会話を交わし、気づいたら終電の時間まで飲んでいたことは父と私の素敵な思い出です。
お酒の力って凄いですね。
父の生き方を変えたくれた通訳さんには今でもとても感謝しています。
父の障害や性格を理解してくれる人に出会えてことがとても大きかったのではないでしょうか。
もし、父のようにお子さんとの接し方に悩んでいる方がいらしたら、まずお子さんの意見をきちんと聞いてあげてくださいね。自分の世界観だけではなく、いろんな世界があるのだと理解したり、それが難しいなら受け入れるだけでも良いと思います。
逆に子供の立場で頭ごなしに怒ってきたり、自分の意見を押し付けてくる親御さんに対しては、諦めずに自分の意見を伝えてみてくださいね。
現に今私が、もっと諦めずに接していればと後悔しています。父に話したところで伝わらない。と思い込んでいましたから…
まとめ〜父の幸せ〜
いかがでしたでしょうか。
昔は頑固者だった父も今では”仏”とまではいきませんが、とても優しいです。
結婚式でバージンロードを一緒に歩いた時の父の表情は一生忘れません。とても良い笑顔でした。
そして孫を授かった今、私たちが赤ん坊の時にはできなかった育児を体験しています。
初めてオムツを変えたり、ミルクをあげたり、あやしたり、散歩に出たり、お風呂に入れたり、初体験を楽しんでいます。
当時は仕事を頑張っていてくれていたこともよく理解してますし、父なりのろうあ者としてのプライドだったのかな。と今では思えます。
だけどやっぱり父との時間をもう少し大切に過ごせばよかったなと思います。
そしたら私から父に寄り添うことができただろうし、もっと早く孤独な世界から助けてあげれたかもしれない。
次章では私の息子(孫)と両親の関わり方についてお話させていただければと思います。
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