父と母は聴覚障害者。私はコーダ。母から受けたたくさんの愛情 〜幼少期編〜

コーダ育児

こんにちは、hanaです。
みなさん“コーダ”をご存知ですか?耳の聞こえない親を持つ子供のことを“コーダ”と呼ぶそうです。
コーダである私ですらこの言葉を知ったのは最近です。
きっかけはSNS。息子に手話を教えている動画をupし、そこからフォローしてくださった方がコーダ育児を行なっていたことで“コーダ”と言う言葉を知るきっかけになりました。

現在コーダ育児に奮闘中のママ達の参考になればという想いと、コーダ育児をいう言葉を世に広めていきたいと思い、私の生い立ちをお話させていただければと思います。

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両親は聴覚障害者


私の父は生まれてすぐ高熱をだし、注射の副作用で聴力を失った“ろうあ者”。母は中学生の頃に中耳炎を繰り返し聴力を失った“中途失聴者”でした。
父に関しては、乳児期に聴力を失ったため発話もできません。幸い母は発話ができましたし、祖母が同居していたため私と弟は不自由を感じることなく幼少期を過ごしていました。

ろうあ者と途中失調者の違いってあるの?

「聴覚障がい者」には、大きく「難聴者」「中途失聴者」「ろう者(聾者)」があります。日本では「聴覚障がい者」という単語にまとめられがちですが、難聴者、中途失聴者、ろう者は大きく異なります。

難聴者
「難聴者」は聞こえるdb(音量)によって「難度難聴者」から「重度難聴」の4種類と「老人性難聴」の」5種類に分類されます。

中途失聴者
「中途失聴者」は、聞こえの程度とは関係なく、事故や病気によって音声言語獲得後に失聴した場合に分類されます。もともとは聴者であった母のように、発話は比較的問題がないケースが多いです。しかし聞き取りに関しては個々の聴力次第では極めて困難な障害です。

ろう者
「ろう者」の定義は「難聴者」とは大きく異なります。医学的には「100dB以上の最重度の聴力レベル」のことを言い、聴覚障がいの中では最も重い「身体障がい者二級」に値するそうです。また、ろう者とろうあ者の違いですが、父のように乳児期に聴力を失い、発語もできない人は「ろうあ者」になるそうです。

「聴覚障がい者」について詳しく書かれているので、興味のある方は見てみてくださいね。
東京都聴覚障害者連盟 HP

手話と言葉のバイリンガル

物心がついたころには手話は私の中で言葉と同じ存在でした。言葉同様、勝手に覚えていたのです。父と母との会話はもちろん手話で行われてるので日常で手話が飛び交っていましたし、きっと母は父が孤立しないように意識的に私たちに手話で話しかけてくれていたんだと思います。
お陰で日本語と日本語手話のバイリンガルになることができたので感謝でしかありません。

父と母の耳代わりとなった幼少期


幼稚園に通い出したころでしょうか。よく両親の通訳をしていたことを思い出します。
役所にいけばプロの通訳者がいたので、様々な手続きを通訳者を通して行うことができていたのですが、他の場面ではそうもいきません。病院などの手続き、お店の定員さんからの問い、運転中のサイレンの音、幼稚園の先生とのやり取り、近所の方との交流なども母の耳代わりとなっていた記憶があります。
それでも幼少期は、聴覚障害者の両親を恥じたことはありませんでしたし、周りの大人からは『小さいのにえらいねぇ』と褒められることが多く自信にもつながっていたような気がします。

手話サークルで人間関係を学んだ

幼い頃から両親が通う手話サークルに一緒に連れて行ってもらっていたことは今でも私にとって大切な時間だったと感じています。
地域の手話サークルの集まりには、ろうあ者だけではなく耳の聞こえる健常者の方も参加しています。障害者と健常者の関わり方を学ぶことができたのもこの手話サークルのお陰だったなと今では思います。
私と同じようにコーダの子たちもいて、よく一緒に遊んでいました。
幼稚園とは違い、小学校に通うお兄さん、お姉さんも居れば、自分より年下の子もいて、子供ながらに上下関係を学んでいたんだと思います。
土日になればサークル仲間と旅行やキャンプ、牧場など様々なイベントを共にし過ごしていました。
30代になった今でも実家に帰る度、当時の写真やビデオをみて振り返り思い出に浸ることがあります。
もしろうあ者でご近所の方とコミュニケーションが取れず、逃げ場のないお母さんやお父さんがいらしたら、是非お住まいの地域で行われている手話サークルに参加してみてはいかがでしょうか。きっと世界が広がりますし、母もサークルのお陰で人生楽しめた‼︎と言っていました。

母との信頼関係


平日、父は仕事で忙しく帰りも遅いため必然的にママっ子になっていた私ですが、それ以外にも母と私の間では異常なほどの信頼関係が生まれていたことに気づいたのです。それは“ハグ”。
手話で会話ができるといえど、やはり私はおぼつかない手つきで手話をするため伝えたいことも伝わらないこともあり、よく泣いていたことを覚えてます。すると、よくハグをされていました。
また会話も対面で話さないと伝わらないためお互い目を見て手話をすることによって、誠意のある会話を交わすことができていたのかなと思います。

私自身、子供を産んで育児を行う中で、会話が流れ作業となっていることが多々あります。
質問されても、家事をしながら答えたりしてしまっているな。と、この文章を書きながら気付かされたので、できる範囲で息子との会話を大切にしていきたいと思いますし、「息子さんがイヤイヤ期でどうしようもない時はハグをしてあげてください。」と保育園の先生にアドバイスを受けていたことを思い出しました。
それほど“ハグ”は大切な愛情表現の一つですし、子供と信頼関係を築く方法のひとつなんだと思います。
もし、お子さんとの関わり方に悩んでいるお母さん、お父さんがいたら、障害者、健常者関わらず、とにかく“ハグ”をたくさんしてあげてくださいね。

まとめ

今回は主に母と幼少期の私のお話をさせていただきました。
障害を持つ両親であっても、私自身は何不自由なく楽しく過ごした幼少期だったと思います。両親に愛されていたことが昔の写真からも伝わってきますし、2歳から手話で会話していたこともあり30代になり両親と過ごす時間が減った今でも日常会話であれば手話で会話することはできます。

次章で小学生に進級し、成長していくにつれて、お友達の家庭と違うことに向き合うことになってからの心境や、コーダ育児を受けていた側の当時の悩みなどもお伝えしていけたらなと思っております!

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